試論:「ラザロの死」を140文字以内で

民数記4章は「三十歳以上五十歳以下」と繰り返して、古代のイスラエルではこの年代を働き盛りと考えていたと示唆し、ヨハネ11章ではマルタ(21節)とマリア(32節)またユダヤ人たち(37節)まで口々にラザロの死を悔やみ、天寿を全うしたと言える年齢に彼が達していなかったことを暗示する。

【追記】

主イエスはヨハネ12章30節で、御父の天からの声(28節)が聴こえたのは、イエス御自身のためではなく、人々が信じて救いに入るためだと仰せになった。主はラザロの死(11章15節)と復活(42節)の際も、人々が信じて救いに入るためにこのようなことが起きるという旨を仰せになられている。

ヨハネ12章3節はラザロの姉妹マリア(同11章2節参照)が非常に高価なナルドの香油を惜し気もなく、主イエスのために消費したことを記し、またルカ10章40節以下はマルタのもてなしが、「盛り沢山」過ぎたことを暗示しており、この兄妹たちが、非常に裕福な資産家であったことを示唆している。

(注)別エントリー「『マリアは良い方を選んだ』?」も参照のこと。
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主イエスは「今の時代の者たちはよこしまだ。しるしを欲しがるが、ヨナのしるしの他にはしるしは与えられない」と仰せになった。「ヨナのしるし」とは御自身の復活のことであり、その前にも人々はラザロの復活という「しるし」を目にすることになるが結果かえって有力者たちはイエスの殺害を決意した。

主はヨハネ11章25節で御自身を復活と命だと称され、6章63節では命を与えるのは「〔神の〕霊」だと仰せになった。コヘレト12章7節は人間の死でその肉体は塵(土)に還るが、命を与えられたその霊は「与え主」である神の許へと還るとし、一コリント15章44節は「霊の体が復活する」と記す。

主イエスは「わたしは世の光」(ヨハネ8章12節)と仰せになられ、1章4節は「御言葉(人々に語り掛ける神=御子イエス・キリスト)の内に命があり、命は人間を照らす光」と記し、5節では主を「光」と表現する。3章19節で主は「光」と自称され、11章25節では「復活」「命」とも自称された。

(注)別エントリー「試論:『世の光』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『神の御言葉』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『神よあなたのことばは』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:ヨハネ1章1節を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「予備的考察:『千年王国』か永遠の生命か」も参照のこと。
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一コリント15章でパウロは「地上の体」「天上の体」という表現を用いて、《人間が地上で生活していた際の、死によって朽ちていく肉体》と《その人の霊が神の許に帰還した後で、神によって天上で新しく与えられる、朽ちることのない体》について説明し、後者を「霊の体」(44節)等と表現している。

(注)別エントリー「試論:『霊の帰還』を140文字以内で」も参照のこと。
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申命記30章15節には「わたしは今日、命と幸い、死と災いをあなたの前に置く」とある。この章で「命」は、「祝福」(1節)「幸い」(5節)「恵み」「実り」「繁栄」「喜び」(9節)等の総称で、20節は「あなたの神、主を愛し、御声を聞き、付き従いなさい。それこそあなたの命である」と説く。

(注)別エントリー「試論:『道・真理・命』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『命の木』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:ヨハネ1章4節『命の光』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『永遠の命の言葉を持つ』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『御言葉によって生きる』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:ローマ8章6節を140文字以内で」も参照のこと。
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