ミカ6章8節「何が善であって、主が何をあなたたちに求めておられるかは、あなたたちには既に告げられている。それは神の義を行い、憐れみの業を愛し、へりくだり神と共に歩むこと」ホセア6章6節「わたしが求めるものは『いけにえ』ではなく憐れみであり、焼き尽くす献げ物ではなく神を知ること」。
(注)別エントリー「試論:『良きサマリア人』の教訓を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『着る』べき『礼服』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】
ホセア6章6節は「わたしが求めるのは、憐れみであって『いけにえ』ではなく、神を知ることであって焼き尽くす献げ物ではない」と記すが、これと関連して一ヨハネ2章3節は「知る」という表現の意味を《神の掟を守るという実体験を通して自分は神を知っているのだと自覚する》ことであると説明する。
(注)別エントリー「試論:『神を知ること』を140文字以内で」も参照のこと。
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主はホセア6章6節「わたしが喜ぶのは憐れみであって『いけにえ』ではない」をマタイ福音書で二度(9章13節、12章7節)引用され、隣人への敬意を欠いた者による尊敬など、神には受け入れられぬと教えられた。22章で律法の最も重要な掟の第一を神への愛、第二を隣人愛とされたことと符合する。
(注)別エントリー「試論:『愛』(キリストの律法)を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『愛』と『愛の反対』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『主は優しい人に優しい』を140文字以内で」も参照のこと。
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【問】一ペトロ2章9節「あなたたちは王の系統を引く祭司」の意味とは?【答】モーセの律法の祭司はいけにえや献げ物を神に献げますが、王であるキリストの弟子は一人一人がいけにえでなく憐れみの業(ホセア6章6節、ミカ6章8節)を神に献げる義務がある、という意味でキリストにおける祭司です。
(注)別エントリー「試論:『いけにえ』と憐れみを140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:憐れみ深い人が幸いの理由を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:ホセア6章の『神を知る』を140文字以内で」も参照のこと。
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