試論:「使徒言行録とユダヤ人」を140文字以内で

ペルシアによりバビロン捕囚から解放され帰還した人々は、都と神殿の再建を許されたが、自治を許された領域は広くなく「産めよ増やせよ」に従えばすぐ手狭となった。ユダヤを支配した国々が移民を奨励した結果、ローマ時代には「帝国の主要都市でユダヤ人のいない町はない」と言われるくらいであった。

【追記】

マケドニアの大征服者アレクサンドロス大王の死後、武将たちによる領土の分割の結果、ユダヤはキレネやキプロス同様エジプトが本拠のプトレマイオス王朝に百数十年支配された。ダニエル書はこの王朝を「南の王」と呼んだ。この王朝はユダヤ人のエジプト(キレネやキプロスも含む)への移民を奨励した。

(注)別エントリー「試論:『ユダヤ人とキレネ』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15734

(注)別エントリー「試論:エゼキエル戦争を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4921

(注)別エントリー「予備的考察:いわゆる『エゼキエル戦争』【再投稿】」も参照のこと。
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ペルシア王によってユダヤ人は捕囚から解放され帰還したが、ユダヤ人の自治に委ねられた領土はエルサレムとその近辺のみで、かつての独立王国と比較にならない小ささで周辺異民族から容易に干渉を受けやすく、さらにユダヤ人は「産めよ増やせよ」で人口増加が著しいため、「南の王」は移民を奨励した。

バビロン捕囚から帰還したユダヤ人が、周辺異民族の妨害でエルサレム復興に苦心していた紀元前五世紀、総督ネヘミヤの調査により当時の「預言者」たちが周辺異民族に買収され偽の「預言」を発していた不祥事が判明した(ネヘミヤ6章)。以後、洗礼者の登場まで預言者が公然と活動することはなかった。

(注)別エントリー「試論:マラキから洗礼者までを140文字以内で」も参照のこと。
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ペトロは第一の手紙の冒頭で「離散して仮住まい」の人々に挨拶する。新約聖書で離散を意味するギリシア語は、ステファノ殉教後に信者たちがユダヤを追われて各地に追い散らされたことを意味する。主イエスのエルサレム滅亡の予告に従い信者の多くはユダヤへ戻らず各地で「からし種」の役割を果たした。

(注)別エントリー「試論:聖パウロの職業を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:テモテの割礼を140文字以内で」も参照のこと。
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一ペトロ1章1節は、「離散」つまりステファノ殉教後の大迫害で散って行った(使徒言行録8章1節)エルサレム教会の信者の避難先としてアジア州を挙げる。主の御降誕の約四十年前カエサルは、ユダヤ人が固有の慣習を保持しながら不利なく市民生活を送れる権利を、エフェソ等の諸都市で保障していた。

(注)別エントリー「予備的考察:『千年王国』か永遠の生命か」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:初代教会と箴言を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5756

主の御降誕の四十数年前カエサルはエジプト遠征で政敵ポンペイウスの勢力を打倒したが、かつてポンペイウスが聖所に侵入したことを恨んでいたユダヤ人の多くはカエサルに協力した。カエサルはユダヤ人に、エフェソを含む諸都市で安息日等の慣習を堅持したまま不利なく市民生活を送れる権利を確約した。

ローマの将軍ポンペイウスは神殿で大祭司しか入れぬ場所(レビ16章)に入り、ユダヤに衝撃が走った。ポンペイウスをカエサルが打倒し彼はユダヤ人に気前よく諸権利を与えたが、エジプトの女王を愛人としたことも含めて同胞から王様気取りだと疑われ、暗殺された。彼の死をユダヤ人は非常に悲しんだ。

紀元前63年ユダヤの内乱に介入して勝利したローマの将軍ポンペイウスは、エルサレムの神殿で大祭司しか入れない場所にまで入り、当時の異邦人には謎だったユダヤの神殿の実態が初めて知れ渡った。聖所に神像や神体の類は存在せず、机・純金の器・燭台・香料などがあった(出エジプト記25章以下)。