試論:「都の滅亡」を140文字以内で

イザヤ62章5節はシオンの救いに関する文脈で神と神の民との関係を花婿と花嫁の関係にたとえエレミヤ33章11節はエルサレムの復興を「花婿と花嫁の声が聞こえるようになる」と預言したが、ならば、黙示録18章23節が「花婿と花嫁の声は聞かれない」と啓示した都も、やはり同じ都のはずである。

(注)別エントリー「試論:黙示録18章を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5394

(注)別エントリー「試論:黙示録16章を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5086

(注)別エントリー「エルサレムがバビロンと呼ばれた理由」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1962

(注)別エントリー「戦争と飢餓:ある意味で実戦よりも残酷な」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4744

(注)別エントリー「あなた方は神と富に仕えることはできない」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1699

(注)別エントリー「試論:黙示録の年代を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5494

(注)別エントリー「試論:口から火が迸り出る預言者を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5525

【追記】

古代のイスラエルは、神と神の民との関係をしばしば花婿と花嫁の関係にたとえた。洗礼者ヨハネは、イエスを「花婿」と呼んで自身は「花婿の介添人」と称した。主イエスを歓呼の裡に迎え入れながら数日で死に至らしめた都を、黙示録が「大淫婦」と呼んだ理由は、イエスこそ花婿に他ならないからである。

エゼキエル10章〜11章は第一神殿滅亡の前に主の栄光とケルビムが神殿を去る光景を記した。ユダヤの歴史家ヨセフスは、第二神殿滅亡の前に何者たちかが神殿で動き出す物音や「われわれはここを出て行こう」という声が聴こえた伝聞を記したが、聖ヒエロニムスはそれを主の御受難の折の出来事とする。

使徒言行録12章はペトロの逮捕時、天使の導きで、門扉がひとりでに開き、ペトロを解放したと記す。他方ユダヤの歴史家ヨセフスやタルムードはエルサレムと神殿の滅亡前の「凶兆」として、非常に重い門扉がひとりでに開いたと記し、神殿守衛長(使徒言行録5章24節)たちが閉めたとヨセフスは記す。

ルカ23章30節は、御受難の日に主がエルサレムの婦人たちへ伝えられた御言葉を記している。それは黙示録6章16節の記述に対応する言い回しであって、12節以下の「第六の封印」と関連する記述とは、実は紀元七〇年のエルサレム滅亡に関する啓示であることが、ルカ23章30節との対比で分かる。

黙示録6章15節以下「地上の王や高官や千人隊長たちは洞穴や山の岩間に隠れ、山と岩に向かい『我々の上に覆い被さり玉座に座っておられる方の御顔と小羊の怒りから我々を匿え』と言った」マルコ13章26節「人の子が大いなる力と栄光を帯び天の雲に乗って来るのを見て、地上の全ての民は悲しむ」。

(注)別エントリー「試論:『人の子は来る』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/10725

(注)別エントリー「主の御降誕と古代イスラエルにおける洞穴」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4351

黙示録11章に「神の神殿」が二か所で登場するが、19節の神殿が天の神殿である一方、1節の神殿はエルサレムのヘロデ神殿である。なぜなら異邦人のための外の庭(2節)はヘロデ神殿特有のものだからであり、11章の啓示はヘロデ神殿が現存していた紀元七〇年以前になされなければ意味をなさない。

ヨハネの黙示録17章5節には「淫婦の母、地上のあらゆる憎むべきものの母である大バビロン」と書かれているが、ゼカリヤ書2章11節では、エルサレムの住民が「バビロンの娘」という表現で呼び掛けられている。当時のエルサレムの住民は、かつてバビロンに連行されて住み着いた人々の子孫であった。