主はマタイ18章で、「心を入れ替えて子供のようにならなければ決して天の国に入ることはできない」と仰せになり、「心を入れ替える」(3節)と「自分を低くする」(4節)の二つが、子供のようになるために必要であると教えられた。弟子たちは詩編131編を歌うたび以前から学んでいたはずである。
(注)別エントリー「試論:子供をつまずかせる者を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8277
【追記】
主はマタイ18章10節で、人間と神との連絡を行う天使の存在に言及され、たとえ幼子が言語や思考や体力や行動の面でおぼつかない存在であっても、幼子の非力を侮り良からぬ行動に出る者については全てを天使が逐一、神の御前で報告し、神は全てを御存知であると仰せになった(マタイ6章6節参照)。
(注)別エントリー「試論:幼子を軽視することの禁止を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7404