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試論:洗礼者の死と主イエスの死を140文字以内で

洗礼者はヘロデの家庭事情を非難したことでヘロデの家族の恨みを買い殺害されたが、宗教指導者たちと深い対立関係にはなかった。他方、救い主は「神を御自分の父と呼び御自分を神と等しい者とされた」(ヨハネ5章18節)ゆえに、救い主を認めたくない宗教指導者たちは冒瀆者扱いして殺す道を選んだ。

(注)別エントリー「試論:『御父と御子』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7544

【追記】

主はヨハネ8章18節で「わたしをお遣わしになった父もわたしについてあかしをしてくださる」と仰せになった。マタイ17章「主の変容」の際の、5節「光り輝く雲」の中からの声が、それに該当するが、御受難の数日前のエルサレムでも、多くの人に聴こえる場でそれはなされた(ヨハネ12章28節)。

ルカ3章22節「聖霊が鳩の姿で降(くだ)り、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が天から聞こえた」ヨハネ12章28節「イエスが『父よ、あなたの栄光を現わして下さい』と仰せになると、『わたしは既に栄光を現わしたが、再び栄光を現わそう』という声が天から聞こえた」。

主イエスはヨハネ12章28節で、「父よ、御名の栄光を現して下さい」と仰せになり、すると天から声が聞こえた。これは申命記5章22節以下を彷彿とさせ人々はそれを思い起こしたなら慄然としたはずである。ただ群衆の反応は「雷が鳴った」「天使がこの人に話しかけた」等で、回心には至らなかった。