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「塩に塩気がなくなれば」

主はマタイ5章13節で「塩に塩気がなくなれば」と仰せになり、信者を「塩」、信仰を「塩気」にたとえられたが、ヨハネ15章では同じ事柄を「ぶどうの木」にたとえられて、「わたしにつながっていなさい」(4節)「わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっている」(10節)とお教えになった。

(注)別エントリー「試論:ぶどうの木と『実』の特徴を140文字以内で」も参照のこと。
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マタイ5章13節で主は信者たちを「地の塩」とお呼びになり信仰を「塩気」にたとえられたが、理由は当然マタイ28章19節以下にある通りに全世界が信者たちによって「塩気」で味付けされねばならぬからである。マルコ9章50節では「塩」と「平和」を関連付け、ヨハネ13章35節を既に予告する。

(注)別エントリー「試論:『世の光』を140文字以内で」も参照のこと。
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レビ2章13節は「穀物の献げ物には全て塩をかけよ。あなたの神との契約の塩を献げ物から絶やすな」と命じる。モーセの律法の民にとって「塩で味付けをする行為」は神への信仰心を象徴するものであった。主イエスもまた、「塩」を信仰あるいは信仰心の比喩として、御教えを仰せになる際に用いられた。

主はマルコ9章49節で「すべての人は火で塩味を付けられねばならない」と仰せになったが、「火」はマタイ3章11節と同じく「火が金銀を精錬する如く人間を清くする主の仰せ」を指し、「塩味」は信仰を指す。主の仰せが人間を清くすることに関しては、ヨハネ15章3節で主御自身が御説明なさった。

エレミヤ5章14節「わたしはあなたの口にわたしの言葉を授ける。それは火となり、この民を薪として焼き尽くす」同20章9節「主の名を口にすまいと思っても、主の御言葉は、わたしの心の中、骨の中に閉じ込められて火のように燃え上がります」同23章29節「わたしの言葉は、火に似ていないか」。

ルカ12章49節「わたしは地上に火を投ずるために来た。既にその火が燃えていることをどんなに願っているか」同24章32節「主が道でお話しされた時や聖書を説明されていた時、われわれの心は燃えていたではないか」エレミヤ23章29節「わたしの言葉は火のようではないか、と主は仰せになる」。

(注)別エントリー「試論:『火も剣も御言葉の比喩』を140文字以内で」も参照のこと。
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マタイ3章11節で洗礼者ヨハネは、来るべき方が「聖霊と火」で洗礼をお授けになると教えたが、11節の「火」は12節の「消えることのない火(=『永遠の罰』の象徴)」とは別概念で、詩編105編19節や119編140節にあるように、火が金銀を精錬する如く人間を清くする主の清い仰せを指す。

マタイ3章には来るべき方が「聖霊と火」で洗礼をお授けになるとあるが「火」とは「火が金属を精錬する如く人間を清くする主の清い仰せ」を指し詩編12編7節〜8節、66編10節、105編19節、119編140節、エレミヤ6章29節、ゼカリヤ13章9節、マラキ3章2節〜3節などが関連する。

ルカ12章49節「地上に火を投ずるためにわたしは来た」同3章16節「聖霊と火による洗礼」黙示録11章5節「口から火が出る預言者」エレミヤ5章14節「あなたの口に、わたしの言葉を授ける。それは火となり、この民を薪として焼き尽くす」同23章29節「わたしの言葉は、火に似ていないか」。

(注)別エントリー「試論:『神の御言葉』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『御言葉』を140文字以内で」も参照のこと。
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主なる神が燃える柴の火の中から御言葉をモーセに語り掛けられたという出来事は、ヘブライ人にとって忘れ難い歴史上の一大事で、洗礼者の「聖霊と火による」に対し、当時のユダヤ人は「火」が何の比喩かを直ちに理解した。しかし異邦人には全く意味不明でマルコ1章8節はこの理由から「火」を省いた。

(注)別エントリー「試論:二種類の『火』を140文字以内で」も参照のこと。
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黙示録11章5節「二人に害を加えようとするものがあれば、彼らの口から火が出て、敵を滅ぼすであろう」は、エレミヤ5章14節「わたしは、あなたの口にわたしの言葉を授ける。それは火となり、この民を薪として焼き尽くす」を踏まえており、エレミヤ5章はエルサレムの背信を咎める内容の章である。

(注)別エントリー「試論:黙示録の年代を140文字以内で」も参照のこと。
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