試論:「しるしを見せてほしい」を140文字以内で

マタイ16章はファリサイ派やサドカイ派の人々が主イエスに、天からのしるしを見せてほしいと願ったと記す。主は「空模様」を例に応じられたが、人々が見たいと願っていたしるしとは空模様(気象)に関するものだとわかる。主は湖で暴風雨を鎮められ、弟子たちにだけ気象を司る権能をお示しになった。

【追記】

洗礼者は主からエリヤと呼ばれた(マタイ11章14節)ものの干ばつの際のしるし(列王上18章41節以下)は行わず(ヨハネ10章41節)、このしるしは主も行われなかった。古代に遡るある伝承は、エルサレムの監督ヤコブがエリヤのしるしを行ったとする。このしるしには圧倒的な説得力があった。

(注)別エントリー「試論:もう一人の『エリヤ』??を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/10009

マルコ8章11節でファリサイ派の人々は主イエスを試そうと「天からのしるし」を求めたのに対し、主は「なぜ『時代のしるし』を悟ることができないのか」とマタイ16章3節で答えられた。「時代のしるし」とは、預言されていた救い主による癒し(イザヤ35章5節以下)と、主によるその実践である。

(注)別エントリー「試論:『時代のしるし』を140文字以内で」も参照のこと。
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主イエスはパンを増やし四千人の群衆に食べ物を与えるという奇跡を行われた。類似の奇跡は列王下4章42節以下で「神の人」預言者エリシャも行っていた。主イエスの神の御独り子たる本領は「生まれつき目が見えなかった人の視力を回復させた」(ヨハネ9章32節、イザヤ35章5節)時に発揮された。

(注)別エントリー「試論:『救い主の識別』を140文字以内で」も参照のこと。
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