試論:キュロス王とメディア王国を140文字以内で

古代ギリシアの歴史家ヘロドトスは捕囚のユダヤ人を解放したペルシア王キュロスを、彼は母方の祖父を倒しメディアを併合したと記す。別の歴史家クセノフォンは、彼は母方の伯父からメディア王国を譲られたと記す。この伯父を古代ユダヤの歴史家ヨセフスは、「メディア人ダレイオス」であると示唆する。

【追記】

クセノフォンによればペルシアの王子キュロスは少年時代、母方の祖父の意向によって人質のようにメディアの王宮で育てられることになった。母方の伯父がキュロスの教育に当たったがキュロスの才覚は目覚ましい成長を遂げ、伯父も他のメディア人たちもキュロスに絶大な信頼を置くまでの存在感を見せた。

一世紀後半のユダヤ人歴史家ヨセフスは「キュロスは親族であるメディア王ダレイオスと連携してバビロンを占領したが、この親族をギリシア人は別の名前で呼んでいる」と記す。クセノフォンはキュロスの伯父をキュアクサレスと呼ぶが、歴史学の主流はヘロドトス説を支持し、クセノフォン説を支持しない。

歴史学の主流は「キュロスの伯父」説を支持しないが、旧約聖書ではダニエル書でキュロスの前に「既に六十二歳」であった「メディア人ダレイオス」なる人物が、バビロンに君臨していたことを記し、これをヨセフスも踏まえる。旧約聖書の記述と整合するのはヘロドトス説ではなく、クセノフォン説である。

ヘロドトスとユダヤ側の伝承との相違や信憑性を考える際、ヘロドトスはペルシアの侵略を退けたギリシア人でペルシアにとっては「外部」の人間に過ぎないが、ユダヤ人はバビロン捕囚後は引き続きペルシアの統治下に組み込まれており、ペルシアにとっては「内部」の人間である点に、留意する必要がある。