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試論:「兄弟が一緒に道を行く」を140文字以内で

主イエスはマタイ5章25節で、「あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい」と教えられ、《全ての人が生きる上で辿るべき道筋(道理・規範)の模範》の意味においてヨハネ14章6節で御自身を「道」と称された。使徒言行録はキリスト教の信仰自体を事ある毎に「道」と称する。

(注)別エントリー「試論:『道・真理・命』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11332

(注)別エントリー「試論:『主の道』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/12914

【追記】

使徒言行録2章28節「あなたは、命に至る道をわたしに示し、〜」9章2節「この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げて、〜」13章10節「主のまっすぐな道」16章17節「救いの道」18章25節「主の道」同26節「神の道」19章9節「この道」同23節「この道のことで」等々。

箴言11章28節「憐れみの道にこそ命がある。この道を行く人に死はない」ルカ6章35節以下「敵に親切にし、善を行い、何も当てにせず貸しなさい。そうすれば、あなたたちはいと高き方であられる天の御父の子となり、大きな報いを受ける。あなたたちも天の御父のように憐れみ深い者になりなさい」。

(注)別エントリー「試論:『道・真理・命』の意味を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11332

(注)別エントリー「試論:『永遠の命の言葉を持つ』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11244

マタイ6章14節〜15節「あなたがたが人を容赦するなら天の父もあなたがたを容赦されるが、あなたがたが人を容赦しないなら天の父もあなたがたを容赦されない」は同5章7節「憐れみ深い人は幸いである。その人は憐れみを受ける」などと、表現を変えながら福音書の随所に登場する、重要事項である。

(注)別エントリー「あなた方も憐れみ深い者となりなさい」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4346

マタイ7章12節「他人からしてもらいたいことを、あなたから他人にしなさい。これこそ律法と預言者」同5章22節「腹を立ててはならない」同7節「憐れみ深い人は幸い。その人は天の御父の憐れみを受ける」同6章14節「あなたが他人の過ちを赦すならば、天の御父もあなたの過ちをお赦しになる」。

(注)別エントリー「試論:『愛』と『愛の反対』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/12199