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試論:「神の子」と「バルヨナ」を140文字以内で

マタイ16章17節は「シモン・バルヨナ」と呼び、新共同訳「人間ではなく」の「人間」をラゲ訳とバルバロ訳では「血肉」と訳す。原文は「肉と血」だがヨハネ1章12節以下は神の子たちを「血」「肉」と無縁に生まれたとし、バルヨナを「鳩(神の霊。マタイ3章16節)の子」とする解釈も存在する。

(注)別エントリー「試論:『十字架が象徴するもの』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7585

【追記】

マタイ16章17節の原文の表現「肉と血」を、パウロもガラテヤ1章16節で用いるが、新共同訳も後者では「血肉(けつにく)」と日本語訳する。このヘブライ語由来の表現が「人間」を意味することは、シラ書14章18節の用例からも理解でき、同節で新共同訳は「血と肉である人間」と日本語訳する。

ヨハネ21章15節はシモン・ペトロを「ヨハネの子」と呼ぶ。マタイ16章17節「バルヨナ」は通常「ヨナの子」と訳されるが福音書時代のヘブライ語でヨナは鳩を意味した。ただしシモン・ペトロの元々の性格が、ヨナ書最終章の預言者の姿(不満や怒りを隠せない)と同じだった可能性も否定できない。

マタイ16章17節「バルヨナ」の「ヨナ」は、福音書時代のヘブライ語では「鳩」を意味した。シモン・ペトロを「鳩(=神の霊。マタイ3章16節)の子」と呼ぶことで、主イエスは「あなたの今の言葉は神の霊があなたに言わせたことである」という事柄をシモン本人そしてその場にいた皆に示唆された。