試論:コロサイ1章15節「姿」を140文字以内で

ヨハネ14章8節のフィリポの言葉「主よ、わたしたちに御父をお示しください」に対しコロサイ1章15節では「御子は、見えない神の姿」と表現した。「見えない神」とは御父であり「姿」とは《生き写し(似姿)》というニュアンスも含む。ヘブライ1章3節は「神の本性の完全な具現」などと表現した。

(注)別エントリー「『御父である神』に結ばれていない人々」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/17900

【追記】

主はヨハネ10章30節で「わたしと父とは一つ」と仰せになった後、17章では弟子たちのために天を仰いで祈られたが、それは御父と御自分が「一つ」であるように、弟子たちもまた「一つ」となるためであった(11節、21節〜23節)。使徒言行録4章32節「信じた人々の群れは心も思いも一つ」。

(注)別エントリー「試論:『真理』あるいは三位一体を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7662