試論:宣教の目的を140文字以内で

主イエスは「神の国」を宣べ伝えるために十二人を遣わされた(ルカ9章2節)。マタイ10章7節「『天の国は近づいた』と宣べ伝えるために出発しなさい」同6章33節「神の国と神の義とを求めなさい」同7章12節「あなたが他の人からしてもらいたいことを全て、あなたの方から他の人にしなさい」。

(注)別エントリー「試論:『ともし火と隣人愛』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】

主イエスは御受難と御復活の間に「新しい天・地・エルサレムの創造」を準備され誕生させたが、イザヤ66章8節は「誰がこのようなことを見聞きしたであろうか。一つの国が一日で生まれ一つの民が一日で生まれることがあり得るだろうか」と預言する。「天の国は近づいた」の《天の国》とはこれだった。

(注)別エントリー「試論:『神のものを神に返す』?を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:新都エルサレムに住む条件を140文字以内で」も参照のこと。
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パウロは一コリント15章で「キリストの復活」こそ福音の核心であり、キリストの御復活つまり《天上の体(復活の体、霊の体)の創造》こそが信仰における全ての希望の源であると強調した。「天上の体」こそが、キリスト御自身のみならず、キリストを信じる全ての人々にとっての、目的地だからである。

(注)別エントリー「試論:『霊の帰還』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『天国の福楽を相続する』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:死者の中から最初に復活?を140文字以内で」も参照のこと。
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黙示録21章16節以下では新しいエルサレムの巨大性が啓示される。これは当然、ヨハネ14章2節以下「わたしの父の家には住む場所がたくさんある。もしなかったなら、あなたたちのための場所を準備しに行くとは言わない。あなたたちの場所を準備したらあなたたちの許に戻って来る」を反映している。

ルカ13章23節は主イエスに救われる者は少ないかを尋ねた人がいたと記す。主は直接の回答をされなかったが、のちに最後の晩餐の夜、ヨハネ14章2節で「わたしの父の家にはたくさん住む所がある」と仰せになった。それが答えである。合格者の定員は存在しない。従って、問題は合否の基準と言える。

(注)別エントリー「試論:救われる者は少ないか??を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『誰の死も喜ばれない神』を140文字以内で」も参照のこと。
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