試論:天使にひれ伏す行為の是非を140文字以内で

旧約聖書では基本的に神は人々に御姿をお見せにならず天使が神の仰せを伝えた。故に人々は天使にひれ伏すことで神への礼拝の態度を表した(創世記19章等)。主イエスが人々の前に御姿をお見せになった後は、人々は天使に対してではなく、ただ神なる主だけにひれ伏すべきだと、黙示録22章は教える。

(注)別エントリー「試論:『心の清い人は神を見る』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】

出エジプト記24章にモーセの一行が「神を見た」とあるが、神の御姿を実際に見たわけではなくその「足台」(「サファイアの敷石のようなもの」)を見たことによって、その上に必ずおられるはずの神を「見た」わけである。また同様に、雲や火や煙、雷鳴や稲妻、角笛の音なども神の現存を象徴していた。

(注)別エントリー「イエス・キリストと天の雲」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/684

(注)別エントリー「試論:福音書と『西遊記』の違いを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5760

(注)別エントリー「試論:『神の御言葉』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5844

(注)別エントリー「試論:神の国の到来と『主の日』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5578

(注)別エントリー「試論:『一人は連れて行かれる』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5599

(注)別エントリー「試論:連れて行かれるのはどこ?を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『一人は連れて行かれ〜』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5819