主イエスは「金持ちとラザロ」の話の最後を、この話をファリサイ派の人々に聞かせた理由も含め御説明された。それは、隣人愛を忘れて貪欲に走るだけの生活の虚しさを、既にモーセ(申命記8章11節以下、民数記11章31節以下等)と預言者(エゼキエル7章19節等)が語っているということである。
(注)別エントリー「あなた方は神と富に仕えることはできない」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1699
【追記】
主イエスはルカ16章9節で、まだ信仰心の乏しい時期に誉められたものでない方法で蓄財した富を、後からでも隣人愛のために使うなら、その人の身に何が起ころうともその人は永遠の命を得ると教えられた。箴言19章17節「困窮している人を助けることは、主に貸しをを作るに等しく、必ず報われる」。
(注)別エントリー「試論:『憐れみの道に命がある』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/18765