試論:「新たなる関係性の構築」を140文字以内で

主イエスはルカ14章33節で弟子たちに、自分の持ち物を全て捨てて従うよう勧められた。養父ヨセフは婚約者の妊娠を知り熟慮の末、彼女との関係を全て断ち切ろうとしたが、夢に現れた天使のお告げにより、一度は放棄しようとした彼女との関係を、執着心とは一切無縁の、神に喜ばれる形で再構築した。

(注)別エントリー「試論:『あなたがヨセフならば』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/18521

【追記】

古代のイスラエルにおける第一の掟は、「あなたは心・精神・思い・力を尽くして、あなたの神である主を愛さなければならない」(マルコ12章30節、申命記6章5節)。この掟に鑑みて養父ヨセフは、自分自身と妻マリアから幼子イエスを愛する機会を片時でも奪う可能性のある行為を、永久に断念した。

(注)別エントリー「聖母と聖ヨセフが終生童貞である理由」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4464

マタイ福音書は後世への教訓に、最初の二つの章で主の養父ヨセフを模範として掲載した。ヨセフは忍耐強く、情け深く、自慢せず、高ぶらず、礼を失わず、自分の利益を求めず、恨みを抱かず、苛立たず、不義を喜ばず、真理を喜んだ。イエスとマリアのために、全てのことを忍び、確信し、待望し、耐えた。

(注)別エントリー「試論:マリアとヨセフに倣う事柄を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7012

(注)別エントリー「『真理(まこと)の神』」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15246

カトリックで聖母を指す表現「天の門」は、聖書では創世記28章17節にのみ登場し、同節は主がおられた場所を「なんと畏れ多い場所」「天の門」と呼ぶ。主を宿した「胎」(ルカ11章27節)であるマリアを、同様に《なんと畏れ多い女性》と感じるのは、古代のイスラエル人の感覚として当然である。

(注)別エントリー「試論:ルカ11章28節を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5786