聖書の一節を引用して振りかざし大見得を切ることが「信者仕草」である、と思い違いをしている人が世には少なくない。しかし荒れ野で主イエスを誘惑した悪魔さえもそうしていた。主イエスが弟子たちに求められているのは「他人からしてもらいたいことならなんでも、あなたから他人にしなさい」である。
(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』愛の掟を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11291
(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』って?を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11541
【追記】
主イエスが悪魔による誘惑を受けられた際、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせ、詩編91編11節から12節を引用して、主イエスを挑発した。たとえ聖書の一節を引用して大見得を切っても、神の御旨と相反する意図に基づくなら百害あって一利なく、単なる冒涜に過ぎない。
(注)別エントリー「試論:『落とし穴を掘る人』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/13476