箴言12章22節の後半は何事においても神に忠実な人は主に喜ばれ主に受け入れられると記す。人間世界に来られた《御子である神》の両親として《御父である神》がお選びになった、マリアとヨセフの二人が、神に対する忠実という点において当時のヘブライ人の間で抜きん出ていたことは疑いようがない。
(注)別エントリー「試論:『新たなる関係性の構築』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/18749
(注)別エントリー「試論:『あなたがヨセフならば』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】
古代のイスラエルにおける第一の掟は、「あなたは心・精神・思い・力を尽くして、あなたの神である主を愛さなければならない」(マルコ12章30節、申命記6章5節)。この掟に鑑みて養父ヨセフは、自分自身と妻マリアから幼子イエスを愛する機会を片時でも奪う可能性のある行為を、永久に断念した。
(注)別エントリー「聖母と聖ヨセフが終生童貞である理由」も参照のこと。
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御子が幼子の頃やカナでの婚礼の折を除けば、人々から御子が尊敬や賞賛を受けられている場所にいて御自分も同じく栄誉に与るということを、聖母は基本的に避けられていた。しかしゴルゴタで御子が人々から嘲りや罵りの的となられた際には十字架の傍らに立たれ、御子と最も苛酷な時間を共に過ごされた。
(注)別エントリー「試論:聖母マリアってどんな方?を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『わたしの主のお母さま』」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/17090