主イエスはマタイ23章26節で「まず内側を清くするなら、外側も清くなる」と仰せになった。同じ事柄はルカ11章39節以下でも問題にされており、同41節では「器の中にある物を施す」よう勧められた。「器」は人間、「器の中にある物」は霊魂で、《霊魂を注ぐ》は日本語では「心を配る」である。
(注)別エントリー「試論:『霊魂を注ぐ』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/13590
(注)別エントリー「『土の器』(つちのうつは)」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/14324
【追記】
「内側を清くする」と聞いて、人々はエレミヤ4章14節「あなたの心から悪を洗い去りなさい。そうすれば、あなたは救われる。あなたはいつまで、心の中に邪悪な思いを抱え続けているのか」や、エゼキエル36章26節「あなたに新しい心を与え、あなたの中に新しい霊を置く」等を連想したはずである。
(注)別エントリー「試論:ヨハネ3章5節『水と霊』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/16130