プロテスタントの『改訳 新約聖書』(1917年)はヨハネ14章6節の「真理」に「まこと」と平仮名を振った。旧約聖書で「まこと」と訳されるヘブライ語に対応するからだが、主イエスはヨハネ1章47節でナタナエルを「まことのイスラエル人」と呼ばれ、彼が律法に忠実な人であると仰せになった。
(注)別エントリー「試論:『信仰とは忠実』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/17662
【追記】
プロテスタントの『改訳 新約聖書』(1917年)はヨハネ14章6節の「真理」に「まこと」と平仮名を振った。旧約聖書で「まこと」と日本語訳されるヘブライ語に対応するからだが、このヘブライ語は「真」「実」「信」「誠」のニュアンスを全て含むため通例、平仮名で「まこと」と日本語訳される。
(注)別エントリー「『真理(まこと)の神』」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15246
主イエスはヨハネ14章6節で「真理」を自称されたが、プロテスタントの『改訳 新約聖書』(1917年)は「まこと」と平仮名を振り、旧約聖書で「まこと」と訳される語との関連を示唆する。嘘偽りや裏表がないこと、上っ面だけでなく内実を伴うこと、真心には真心で返されること等を意味している。
(注)別エントリー「試論:『アーメン』と『まこと』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/16228
主イエスはヨハネ14章6節で「真理」を自称されたが、プロテスタントの『改訳 新約聖書』(1917年)は、そこに「まこと」と平仮名を振り旧約聖書で「まこと」と訳される語との関連を示す。真理というと哲学的で近寄り難い印象を受けるが、主に帰せられる実際の諸徳は「真、実、信、誠」である。
(注)別エントリー「試論:『道・真理・命』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11332