試論:からし種一粒ほどの信仰?を140文字以内で

古代のヘブライ人は神と神の民との関係を「花婿と花嫁」に喩えた。信仰を夫婦間の愛情に喩えたわけである。夫婦間に「わたしはあなたに60%の愛情を捧げるけれど、別の人にも40%の愛情を捧げる」はあり得ない。従って聖書の中の《信仰》とは、「100%の愛情」つまり疑う余地のない確信である。

(注)別エントリー「試論:『主イエスこそ真の花婿』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7379

(注)別エントリー「神に対する確信を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5613

(注)別エントリー「試論:『わたしたちの確信』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「『からし種一粒ほどの信仰』???」も参照のこと。
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【追記】

マタイ1章でヨセフは、自分の与り知らぬ婚約者の妊娠を知って苦悩したが、夢に現れた主の天使の言葉によって、婚約者の妊娠の真相を知り、相手の真心を信じて疑わないことこそが信仰であることをも、同時に実体験した。ヨセフはエジプトに逃げる時も見失った息子を捜す時も、マリアと行動を共にした。

(注)別エントリー「試論:マリアとヨセフに倣う事柄を140文字以内で」も参照のこと。
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マリアの妊娠にヨセフが微塵でも不満を抱き続けていたなら、彼はエジプトに逃げる途中の荒れ野で、「預言者エリヤも任務を捨てて逃げたがそれでも天使はエリヤを励ました。あなたの産んだ子が神の子なら、天使があなたたちを助けてくれるはずだ」と母子を置き去りにしただろうが、彼はそうしなかった。

(注)別エントリー「試論:『義人は意地悪をしない』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:預言者エリヤと義人ヨセフを140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:エリヤとヨセフを140文字以内で」も参照のこと。
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マタイ福音書は後世への教訓に、最初の二つの章で主の養父ヨセフを模範として掲載した。ヨセフは忍耐強く、情け深く、自慢せず、高ぶらず、礼を失わず、自分の利益を求めず、恨みを抱かず、苛立たず、不義を喜ばず、真理を喜んだ。イエスとマリアのために、全てのことを忍び、確信し、待望し、耐えた。

(注)別エントリー「『真理(まこと)の神』」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『出しゃばらない人』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15001