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旧約時代の木造建築技術

いわゆる「石切り」を意味するギリシア語が、テクトーン(tektōn)ではなく、ラトモス(latomos)であることに関しては、これまでに何度も論証してきました。

列王記上5・29(新共同訳。七十人訳では5・15) “latomōn”
(新共同訳「石を切り出す労働者」)

歴代誌上22・2 “latomous latomēsai (lithous xustous)”
(新共同訳「(切り石を)切り出すための採石労働者」)

歴代誌下2・1(2) “latomōn”
(新共同訳「石を切り出す労働者」)

歴代誌下2・17(18) “latomōn”
(新共同訳「石を切り出す労働者」)

(新共同訳やフランシスコ会聖書研究所訳の場合、旧約聖書を日本語訳する場合の底本をヘブライ語聖書『ビブリア・ヘブライカ・シュトットガルテンシア』としていますので、それら日本語訳とギリシア語七十人訳を対比することによって、そのギリシア語の意味するところを明確にしていくことが可能になります)

……上記の通り、列王記上5章や歴代誌上22章それに歴代誌下2章に登場する「石切」たちは皆、ラトモスというギリシア語で七十人訳ギリシア語旧約聖書に登場します。

しかし、主イエス・キリストや聖ヨセフの職業のテクトーンというギリシア語に対して、本田哲郎神父は以下に引用する通り、オイコドモス(oikodomos)こそが大工・家を建てる人・家づくりの職人であると主張しています。

本田哲郎神父の『聖書を発見する』(岩波書店)88~89ページには、次の記述があります。

「『石切り』(テクトーン)は、じつはまったく大工(オイコドモス)とは違うのです。大工は、家を建てる人、家づくりの職人です。『建築家のすてた石、これが角(すみ)の首石(おやいし)となった』(マルコ福音書一二章10節)ということばがあり、そこでは『建築家』にオイコドモスをきちんと使っている。つまり、それが大工さんです。大工が、この石は使えないと言ってポンと放り出した石、それがイエス、つまり角の首石になる。」(88~89ページ)

「しかし、ここでイエスについて使われているのは、テクトーンという違うギリシア語です。」(89ページ)

……では、テクトーンとオイコドモスとは、どこがどのように違って区別されるのでしょうか。

旧約聖書の歴代誌上22章15節には「採石労働者(石切り人)、石工、大工」が登場します。
そこで七十人訳ギリシア語旧約聖書を見ると、「オイコドモイ・リトーン」という言葉と、「テクトネス・クシュローン」という言葉が書かれています。

この「オイコドモイ・リトーン(oikodomoi lithōn)」というのは、

「石(lithos)を扱うオイコドモス」

という意味です。

また「テクトネス・クシュローン(tektones xulōn)」というのは、

「木(xulon)を扱うテクトーン」

という意味です。

七十人訳聖書では、「採石労働者(石切り人)」と「石工」をオイコドモスという言葉でまとめて表現し、「大工」だけをテクトーンと表現しているのです。

つまり、同じ建築に携わる人々であっても、オイコドモスは石造建築部分を担当する人々、テクトーンは木造建築部分を担当する人々、というようにギリシア語が使い分けられていたのです。

オイコドモスが石造建築部分を担当する人々だと知れば、マルコ福音書12章10節(「家を建てる者らが捨てた石、これが隅の親石となった。」)において、石を捨てるのがオイコドモス(同節で用いられているギリシア語はoikodomountes)であって、テクトーンではないというのも、納得です。

本田神父は、「大工を意味するギリシア語はオイコドモスである」と主張したいがために、マルコ12章10節の「家を建てる者らが捨てた石」という箇所を引き合いに出したのでしょうが、本田哲郎神父の意図とは逆に、この箇所こそ、オイコドモスと呼ばれる人々が石を扱う作業に従事する人々だということを、明示してしまっているのです。

重ねて強調しますが、テクトーンとオイコドモスの区別というのは、七十人訳ギリシア語旧約聖書の歴代誌上22章15節における用法からわかる通り、テクトーンは木造建築に従事する人、オイコドモスは石造建築に従事する人、というように使い分けられていた、という点に端的に現われているのです。

ちなみに歴代誌上22章15節のヘブライ語原文を検討すると、

採石労働者(石切り人):ホツビーム

石工:ハラシェ・エベン(石を扱うハラシーム)

大工:ハラシェ・エーツ(木を扱うハラシーム)

となります。

ハラシーム(ハラシェ)は「職人」、エベンは「石」、エーツは「木」です。

『聖書を発見する』を読むと、本田哲郎神父は「イエスやヨセフの職業であるテクトーンとは石切りのことで、大工に相当するギリシア語はオイコドモスである」と認識しているようですが、七十人訳ギリシア語聖書を詳しく読み込んでいくと、実際のギリシア語では本田神父の認識とは大きく異なり、

石切り:ラトモス(latomos)

石造建築の建設労働者:オイコドモス(oikodomos)

木工職人:テクトーン(tektōn)

であることが、七十人訳聖書の記述から明らかになります。

また歴代誌上14章1節でも、日本語訳の「石工」「大工」に相当するギリシア語を七十人訳聖書で調べると、「石工」にオイコドモス(oikodomous toichōn)が、「大工」にテクトーン(tektonas xulōn)が用いられています。

繰り返しになりますが、「テクトネス・クシュローン(tektones xulōn)」というのは、

「木(xulon)を扱うテクトーン」

という意味です。

ここでも、建設に携わった人々の職種としてオイコドモスとテクトーンが並記されており、しかもテクトーンは木工職人を指す言葉として用いられているわけです。

ちなみに、列王記下12章11節〜12節には、新共同訳聖書で「大工、建築労働者、石工、採石労働者」というように、神殿の修理に関わった様々の職種の人々が列挙されています。

そこで、七十人訳ギリシア語旧約聖書で、列王記下12章11節〜12節に登場する、それぞれの職種のギリシア語表現がどのようなものであるかを調べてみると、次のようになります。

「大工」: “tektosin tōn xulōn”

「建築労働者」: “oikodomois tois poiousin”

「石工」: “teichistais”

「採石労働者」: “latomois tōn lithōn”

つまり、この箇所から、大工はテクトーン、建築労働者はオイコドモス、採石労働者すなわち石切はラトモスであることがわかります。

このように「ヘブライ語本文からの日本語訳」と「ヘブライ語本文からのギリシア語訳」とを比較することによって、そのギリシア語の意味するところを明らかにすることが可能なのです。

……それでは、古代イスラエルの木造建築がどの程度の水準にまで達していたのかを、旧約聖書の列王記上6章のソロモンの神殿建設の記述の一部で見てみます。これは、紀元前九六〇年頃のことで、主イエス・キリストや聖ヨセフの時代から遡ること一〇〇〇年近くも前の話、つまり現代からは三〇〇〇年近くも前の話です。

(以下の引用は、『聖書』フランシスコ会聖書研究所訳注によりました)

・ソロモンは神殿の建設を完成させるにあたり、杉の垂木(たるき)と厚板で天井を造った。また、神殿の周囲に造り巡らした脇間の高さは五アンマで、これを杉材で神殿に接続させた。(9節~10節)

・ソロモンは神殿の内壁を床から天井の表面まで杉の板で張った。神殿の床は糸杉の板で張った。神殿の奥の部分二十アンマを床から天井の表面まで杉の板で仕切り、神殿内に内陣、すなわち至聖所を造った。(15節~16節)

・神殿の内壁の杉板には瓢箪(ひょうたん)と開いた花の模様が浮き彫りにされていた。すべてが杉で石は見られなかった。(18節)

・内陣の入り口にはオリーブ材の扉を作った。上の横木と側柱は五段層状であった。(31節)

・同様に、外陣の入り口にもオリーブ材で四段層状の枠組みを作った。二つの扉は糸杉で作られた。一方の扉は二枚に畳める折り戸で、もう一方の扉も二枚に畳める折り戸であった。(33節~34節)

次の7章のソロモンの宮殿建設の記述にも、木造建築の記述が登場します。

・彼は「レバノンの森の家」を建てた。それは長さ百アンマ、幅五十アンマ、高さ三十アンマで、四列の杉の柱で支えられ、柱の上に杉の梁が渡してあった。柱の上の梁は各列に十五本ずつ、四十五本あり、その上に杉の天井が張られていた。(2節~3節)

『聖書』フランシスコ会聖書研究所訳注の巻末の付録「度量衡および通貨」によれば、このアンマというのは約45cmということです。

次に、雅歌1章17節を引用します。

「わたしたちの家の梁は杉の木、垂木は糸杉です。」

サムエル記下7章2節には、次のような記述があります。

「王は預言者ナタンに言った、『見よ、わたしは杉の木の家に住んでいるのに、神の櫃(ひつ)は天幕の中にある』」

列王記下6章には、次のようなくだりがあります。

「ヨルダン川に行き、そこで各自が一本ずつ梁を手に入れて、わたしたちの集まる場所を造りましょう。」(2節)
「彼らの一人が梁にする木を切り倒していると、鉄の斧が水の中に落ちた。」(5節)

また、歴代誌下34章11節には、次のように書かれています。

「また、ユダの王たちが荒れるに任せてきた建物のために、切り石やつなぎ材、梁にする木材を購入するため、大工、建設作業員に渡した。」

七十人訳聖書では、この箇所で「大工」に対応するギリシア語は“tektosi”、すなわちテクトーンであり、「建設作業員」に対応するギリシア語は“oikodomois”、すなわちオイコドモスです。

この箇所のテクトーンやオイコドモス(新共同訳の「建築作業員」)が神殿修理のための「切り石」を献金で買っている、ということは、つまりテクトーンはこの場合、自分たちでは「石切」の作業を行なっておらず、購入された「切り石」に関してはその前に「石切」の作業を行なっていた人々がまた別に存在した、ということになります。

同じ歴代誌下の中でそれを行なっていた職種の人々を探すと、歴代誌下2章の二か所で「石を切り出す労働者」がラトモスというギリシア語で登場し、すなわち、このラトモスこそが、「石切」を意味する本当のギリシア語に他なりません。

最後に、主イエス・キリストや聖ヨセフも使用したに違いない、当時の木工職人の道具を旧約聖書からピックアップしてみましょう。

・錐(きり)
出エジプト記21章6節、申命記15章17節

・斧(おの)
申命記19章5節、同20章19節、サムエル記下12章31節、列王記下6章5節、
歴代誌上20章2節、コヘレト10章10節、イザヤ書10章15節

・手斧(ておの)
イザヤ書10章34節

・槌(つち)
士師記5章26節、列王記上6章7節、エレミヤ書10章4節

・金槌(かなづち)
イザヤ書41章7節、同44章12節

・釘(くぎ)
歴代誌上22章3節、歴代誌下3章9節、イザヤ書41章7節、エレミヤ書10章4節

・のみ
イザヤ書44章13節

・のこぎり
サムエル記下12章31節、列王記上7章9節、歴代誌上20章3節、イザヤ書10章15節

(以上、ギリシア語はラテン文字転写して表記しました)