試論:「悔い改め」どうすれば?を140文字以内で

主イエスはルカ13章3節で「あなたたちも悔い改めなければ皆、滅びる」と説かれた。ルカ3章で洗礼者は、悔い改めに必要な事柄を簡潔ながら具体的な指示として与えた。主イエスの御指示は「あなたが他の人からしてもらいたいことは全てあなたから他の人にしなさい」で、これの実行が悔い改めである。

(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』愛の掟を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『愛』と『愛の反対』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』って?を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】

主イエスや洗礼者は「悔い改め」を説いた。悔い改めと聞くと現代人は、何か仰々しいイメージを抱きがちだが、ルカ3章で実際に洗礼者が皆に指示した事柄は簡潔かつ具体的なものであった。目の前にいる相手を悲しむ顔・困った顔・苦しむ顔にさせるような行為と悪意とを捨て去るように、それらは勧めた。

(注)別エントリー「試論:『主は優しい人に優しい』を140文字以内で」も参照のこと。
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一ペトロ2章1節は「悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口」を捨てるよう要請し、エフェソ4章31節は捨てるべき事柄を「無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなど全てを一切の悪意とともに」とし、コロサイ3章8節も同様に「怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉」を捨てることを要請する。

(注)別エントリー「試論:『捨てる』べきものは何?を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「悪意の放棄なしに永遠の命を得る道はない」も参照のこと。
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【問】ヨナ3章5節には「ニネベの人々は神を信じた」とありますが、ニネベの人々はイスラエルの神なる主に対し、いったい何を信じたのですか?【答】神は悪から離れる者全てに対して憐れみ深く優しい方であることを信じ、善からぬことをいっさい捨てて心の底から悔い改めていることを神に示しました。

ルカ13章23節は主イエスに救われる者は少ないかを尋ねた人がいたと記す。主は直接の回答をされなかったが、のちに最後の晩餐の夜、ヨハネ14章2節で「わたしの父の家には住む所がたくさんある」と仰せになった。それが答えである。合格者の定員は存在しない。従って、問題は合否の基準と言える。

(注)別エントリー「試論:『合格者数と合否の基準』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『誰の死も喜ばれない神』を140文字以内で」も参照のこと。
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ルカ13章23節は救われる者は少ないかという主への質問を記す。主は27節で不義を行う人々は神に拒まれると答えられ、救われるか否かはあくまでも一人一人が主のおぼしめしに沿うか否かであり、救われる者の多い少ないよりそれ以前にまず神の義(マタイ6章33節)を求めて生きるよう勧められた。

(注)別エントリー「試論:『救われる者は少ないか』を140文字以内で」も参照のこと。
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主はルカ13章23節で救われる者は少ないかと問われ、27節で不義を行う人々が神に拒まれると答えられた。確かに「合格者数」や「合格率」がどうしても気になってしまうのは仕方ないが、だからといって、合格と不合格を分ける判断の基準に目が行かなくては本末転倒で、基準は聖書に明記されている。

(注)別エントリー「試論:『神のものを神に返す』?を140文字以内で」も参照のこと。
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エゼキエル18章「わたしは悪人の死を喜ぶだろうか、と主なる神は仰せになる。彼が悪から立ち帰って生きることを喜ばないだろうか。お前たちが犯し た全ての背きを投げ捨てて新しい心と霊を造り出せ。どうしてお前たちは死んでよいだろうか。お前たちは立ち帰って生きよ。わたしは誰の死も喜ばない」。