試論:侮辱する者のために祈れ?を140文字以内で

ルカ6章28節「あなたを侮辱する者のために祈りなさい」マタイ26章67節「人々はイエスの顔に唾を吐きかけ、拳で殴り、平手で打った」同27章30節「総督の兵士たちは、イエスに唾を吐きかけ葦の棒でイエスを殴り続けた」ルカ23章34節「イエスは言われた、『父よ、彼らをお赦し下さい』」。

(注)別エントリー「試論:『主の僕の忍耐』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6462

(注)別エントリー「試論:イザヤの預言と主の御受難を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】

ルカ23章34節の主イエスの御言葉「父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは自分が何をしているのか分かっていないのです」と類似の事柄を数年後、使徒言行録7章60節でステファノが殉教の際に口にした。さらにその二十数年後エルサレム監督である「主の兄弟」ヤコブが殉教の際、類似の事柄を口にした。

(注)別エントリー「試論:もう一人の『エリヤ』??を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/10009

(注)別エントリー「試論:主の兄弟ヤコブを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4911

(注)別エントリー「試論:ルツ記とイエスの兄弟たちを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8585

(注)別エントリー「イエスの『兄弟』『姉妹』:同胞か親戚か」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1451

古代のギリシア語イザヤ50章6節は「わたしは鞭打つ者に背中を、平手打ちする者に頬を向け、なお嘲りと唾からも顔をそむけることがなかった」と記し、この節をマタイ5章39章の主の仰せそして御受難の際(マルコ14章〜15章)の主の御苦しみと御振舞いに、最も近いニュアンスで、解釈している。

(注)別エントリー「試論:御受難の際の主の模範を140文字以内で」も参照のこと。
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主はヨハネ12章27節で「今わたしは心騒ぐ」と仰せになり御自分の内面は穏やかでないと告白された。多くの侮辱を伴う凄惨なリンチの末に、十字架を背負わされ、「御自分の民」から罵声を浴びながら体力を消耗し尽くし、ぼろ布のような状態で大きな苦しみの内に息絶える日がそこまで来たからである。

(注)別エントリー「試論:『恵みの時』『救いの日』を140文字以内で」も参照のこと。
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