主イエスはルカ13章34節やマタイ23章37節で「めん鳥が雛を羽の下に集めるようにわたしはお前の子らを何度集めようとしたことか」と仰せになった。またヨハネ13章では最後の晩餐の夜に弟子たちの足を洗われて、厳格な父というよりも母性的な神としての救い主である、と御自分を世に示された。
(注)別エントリー「試論:『主は優しい人に優しい』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8296
(注)別エントリー「試論:新しい掟とキリストの模範を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/17092
【追記】
旧約の民にとって神なる主は「わたしたちの父」(イザヤ63章16節)だが、救い主(8節)がお生まれになり(9章5(6)節)、民の「永遠の父」である方は「みどりご」として来られた。養父とはいえ人間が「父」となるなどヨセフにとって太陽が西から昇るどころではなかったが彼は責務を全うした。
(注)別エントリー「試論:『神の養父』を140文字以内で」も参照のこと。
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