試論:「安息日の掟か人助けか」を140文字以内で

ルカ6章で、麦畑から穂を摘んで直に麦を口にするほど主の弟子たちは空腹だった。ファリサイ派の人々に対して主はサムエル上21章を引用された。パンではなく直に麦を口にするほどの空腹をしのぐことは、井戸に落ちた息子をすぐに引き上げる(ルカ14章5節)ことと同じく、安息日の掟にも優先する。

(注)別エントリー「安息日と空腹」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/17859

【追記】

マルコ7章の通りファリサイ派の人々は、神が授けられたモーセの律法の多数の掟に加えて、「昔の人の言い伝え」と呼ばれる人間由来の多数の掟を皆に課した。背負い切れない重荷と化した掟の数々に、人々は自分の落ち度を指摘されるよりはとばかりに皆で互いの粗探しを始めたが、そこに隣人愛はあるか?

(注)別エントリー「試論:『背負い切れない数の掟』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/19409

ヨハネ5章の通り、敵たちは安息日の掟を持ち出して主イエスを攻撃するのが常だった。安息日の掟は確かに十戒にも含まれるものの、マルコ12章28節以下の律法学者との問答で再確認された通り古代のイスラエルで最も重要な掟の第一は神への愛の掟、第二は隣人愛の掟であり安息日の掟より優先される。

(注)別エントリー「試論:『しるし』と敵意を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15357

主イエスはマタイ7章12節で「あなたたちは、自分が他の人からしてほしいことを、自分から他の人にしなさい」と《愛の掟》を教えられた。従って「愛の反対」は「他の人からしてほしくないことをあえて他の人に行うこと」そして「他の人からしてほしいことをあえて他の人には行わないこと」からなる。

(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』愛の掟を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11291

(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』って?を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11541