ルカ2章52節は少年時代の主イエスについて「神と人に愛された」と表現する。箴言3章4節には類似の表現「神と人の目に好意や共感を得る」があるが、そうなるための条件として、直前の3節は「慈しみとまこと」すなわち《思いやりの心と裏表(嘘偽り)のない心》を身に着けることが不可欠だと説く。
(注)別エントリー「試論:まこと(真、実、信、誠)を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/16274
【追記】
主イエスはヨハネ14章6節で「真理」を自称されたが、プロテスタントの「改訳 新約聖書』(1917年)は「まこと」と平仮名を振り、旧約聖書で「まこと」と訳される語との関連を示唆する。嘘偽りや裏表がないこと、上っ面だけでなく内実を伴うこと、真心には真心で返されること等を意味している。
(注)別エントリー「『真理(まこと)の神』」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15246
(注)別エントリー「試論:ヨハネ福音書の『信じる』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/16417