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試論:聖書と自業自得を140文字以内で

箴言26章27節は「落とし穴を掘る者は自分がそこに落ちる」と記し、自分の行いは全部いずれ自分に戻って来ると教える。主イエスはマタイ7章12節とルカ6章31節において「あなたは、自分が他の人からしてもらいたいと思うことは、どんなことでも、あなたから他の人にしなさい」と仰せになった。

(注)別エントリー「試論:『落とし穴を掘る人』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】

箴言17章5節の後半は「他人の不幸を喜ぶ人は罰を免れない」等と訳される。古代のギリシア語訳はさらに「同情する人は憐れみを受ける」と続け、これはマタイ5章7節と同じ趣旨であり聖書の「憐れみ」とは他人の不幸を喜んだり笑ったり嘲ったり蔑んだりせず、ただ同情を寄せることであると説明する。

(注)別エントリー「試論:『憐れみと赦し』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7927

主はルカ17章1節で「つまずきは避けられないがそれをもたらす者は不幸だ」と仰せになった。レビ19章17節は悪意を抱いたまま隣人に接することを禁じ、箴言26章27節は他人を落とす穴を掘る者は自分がそこに落ちると記し、民数記12章でモーセに難癖をつけたミリアムは厳しく主に罰せられた。

(注)別エントリー「試論:『理由のない憎しみ』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6468

(注)別エントリー「試論:『モーセの模範』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7466

(注)別エントリー「試論:『つまずき』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7363

主イエスはマタイ7章12節で「あなたが他の人からしてもらいと思うことは何であっても他の人にあなたの方から行いなさい。これこそ律法と預言者〔の教え〕である」と仰せになり、御自分の御教えの核心とされた。パウロはこれを「キリストの律法」(一コリント9章21節、ガラテヤ6章2節)と呼ぶ。

(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』愛の掟を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11291

(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』って?を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11541