試論:「キリストに結ばれた人」を140文字以内で

コロサイ2章6節は主キリスト・イエスを受け入れた人々に対し、キリストに結ばれて歩むように勧める。その具体的な内容は3章とりわけ9節以下で説明され、「古い自分をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主(=キリスト。ヨハネ1章)の姿に倣う自分を身に着け、日々新たにされる」ことをパウロは説いた。

(注)別エントリー「試論:『着る』べき『礼服』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】

主イエスはマルコ8章34節で「自分を捨てる」ようにと教えられた。この意味をコロサイ3章9節以下でパウロは、「古い自分をその行いとともに脱ぎ捨て、造り主(=「言」である主イエス。ヨハネ1章3節)の姿に倣う新しい自分を身に着け、日々このようにして、新たにされる」ことであると説明した。

(注)別エントリー「試論:『神の御言葉』を140文字以内で」も参照のこと。
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マタイ22章「礼服」に関連して、パウロはコロサイ3章で、キリストに結ばれていたいと望む人々が「着る」つまり身に着けるべき事柄に関してとりわけ10節以下で論じ、5節から9節では脱ぎ捨てるべきものも説く。身に着けるべきは憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容、そして愛だとパウロは説いた。

(注)別エントリー「試論:『礼服』の意味を140文字以内で」も参照のこと。
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主イエスはルカ15章7節で「悔い改める必要のない九十九人の義人よりも、悔い改めている一人の罪人のことを天は大いに喜ぶ」と仰せになり、マタイ18章14節ではエゼキエル18章32節「わたしは誰の死も喜ばない」と同様に、天の御父は悪人の滅亡よりも悪人の回心を喜ばれることを再確認された。

(注)別エントリー「試論:『悔い改める一人の罪人』を140文字以内で」も参照のこと。
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