【問】エレミヤ31章33節で預言され、ヘブライ8章10節でも引用された、「わたしの律法」とは何ですか?【答】「キリストの律法」(一コリン十9章21節、ガラテヤ6章2節)とパウロが呼ぶ掟のことで、主イエスがマタイ7章12節で「これこそ律法であり、預言者〔の教え〕」と呼ばれた掟です。
(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』愛の掟を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11291
(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』って?を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】
A.他人からしてもらいたいことを他人に行う(マタイ7章12節)。
B.他人からしてもらいたいことを他人に行わない。
C.他人からしてもらいたくないことを他人に行う。
D.他人からしてもらいたくないことを他人に行わない(トビト4章15節)。
「愛」はAとDであり「愛の反対」はBとCである。
(注)別エントリー「試論:『愛』(キリストの律法)を140文字以内で」も参照のこと。
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ヘブライ10章16節はエレミヤ31章33節の預言を引用し、神なる主が御自分の律法を人々の内面に書き記すことを再確認する。主イエスはマタイ7章12節で「他人からしてもらいたいことを自分の方から他人にしなさい。これこそ律法と預言者」と仰せになり、パウロはこれをキリストの律法と呼んだ。
主イエスはマタイ7章12節で「あなたたちが他人からしてもらいたいと思うことは全て、あなたたちから他人にしなさい」と《愛の掟》を教えられて、「これこそ律法と預言者」と宣言された。これをパウロも「キリストの律法」(一コリント9章21節、ガラテヤ6章2節)と呼びモーセの律法と対比した。
主イエスはマタイ7章12節で、「自分が他人からしてもらいたいことを、あなたたちから他人にしなさい。これこそ律法であり、預言者の教え」と御教えを要約された。エレミヤ31章33節は「わたしの律法を、彼らの心に記す」と預言する。キリストの律法は、モーセの律法に比べると、単純だが奥深い。
マタイ5章17節「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためではなく、完成するため」同7章12節「人からしてもらいたいと思うことは何でも、あなたたちから人にしなさい。これこそが律法と預言者」ローマ13章9節「他にどんな掟があろうとも、隣人を自分のように愛することに要約されます」。
(注)別エントリー「悪意の放棄なしに永遠の命を得る道はない」も参照のこと。
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(注)別エントリー「隣人愛の反対は理由なき悪意そして憎しみ」も参照のこと。
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