試論:二心と目の関係を140文字以内で

主イエスはマタイ6章22節で体のともし火は目と教えられ、人間の内面の有り様は目つき・まなざしに反映されるため、各人は目に注意するようにと教えられた。二心(ふたごころ)がない状態なら目は澄んでいるが、善意を装いつつ心に悪意を秘めるなら、顔は笑っていても目は笑ってはいない状態となる。

(注)別エントリー「試論:『目』と『ともし火』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8003

(注)別エントリー「試論:ルカ18章8節を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/19470

【追記】

詩編12編は裏表(嘘偽り)のある人々ばかりの風潮を「信仰のある人はいなくなった」と嘆く。古代のヘブライ人にとって「二心(ふたごころ)」は信仰とは相容れなかった。「あなたの信仰があなたを救った」や「からし種の一粒ほどの信仰」の「信仰」とは《疑う余地のない確信》《完全な信頼》を指す。

(注)別エントリー「『からし種一粒ほどの信仰』???」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/19278