試論:ルカ18章42節を140文字以内で

詩編12編は裏表(嘘偽り)のある人々ばかりの風潮を「信仰のある人はいなくなった」と嘆く。古代のヘブライ人にとって「二心(ふたごころ)」は信仰とは相容れなかった。「あなたの信仰があなたを救った」や「からし種の一粒ほどの信仰」の「信仰」とは《疑う余地のない確信》《完全な信頼》を指す。

(注)別エントリー「『からし種一粒ほどの信仰』???」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/19278

【追記】

主イエスはヨハネ14章6節で「真理」を自称されたが、プロテスタントの『改訳 新約聖書』(1917年)はそこに「まこと」と平仮名を振る。ヘブライ語の「まこと」に対応しているためであり、主なる神が裏表や嘘偽りのない心を重視される方だからである。従って信仰とは疑う余地のない確信を指す。

(注)別エントリー「試論:『道・真理・命』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11332

(注)別エントリー「『真理(まこと)の神』」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15246