主イエスはルカ19章41節以下で心を入れ替えようとしない都の人々を嘆いて泣かれた。神は、全ての人を救われて真理(=主イエス御自身。ヨハネ14章6節)を知るようになることを望んでおられる(一テモテ2章4節)にもかかわらず、神殿を拠点とする宗教指導者たちの思いは正反対だからであった。
(注)別エントリー「試論:エゼキエル18章を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】
ルカ19章で、主はエルサレムのために泣かれた。確かに主の予告の通り、約四十年後に都は滅亡した。だが同じ都は数日後に主御自身を殺す都でもあった。それでも主は、ヨナ書で神がニネベを惜しまれた以上に、エルサレムのために泣かれた。エルサレムが決して自分の非を認めようとはしないためである。
(注)別エントリー「試論:『滅びを避けるには』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5749