試論:平和をもたらすのでない?を140文字以内で

ルカ12章51節「わたしが来たのは平和をもたらすためだと思ってはならない」。この御言葉の真意を、三十数年前シメオンから聖母は預言されていた(同2章34節)。「この子はイスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするしるしとして、また反対を受けるしるしとして、定められています」。

(注)別エントリー「試論:母マリアと『剣』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7974

(注)別エントリー「試論:『火も剣も御言葉の比喩』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7812

【追記】

主イエスは御復活の後、弟子たち(使徒たち)に初めて現われた際「あなたがたに平和があるように」と仰せになった。古代のヘブライ人にとって「平和」は全ての幸福の総称である。挨拶として長い形式ではサムエル上25章6節「あなたに平和、あなたの家に平和、あなたのもの全てに平和があるように」。

(注)別エントリー「試論:『平和をもたらさない』?を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/14097