ルカ3章16節は「聖霊と火による洗礼」という言い回しを記し、エレミヤ5章14節は「あなたの口にわたしの言葉を授ける。それは火となり民を焼き尽くす」と預言する。さらにこれを踏まえヘブライ1章7節(詩編104編4節より引用)では「御自分に仕える者たちを燃える炎(=火)とする」と記す。
(注)別エントリー「試論:『火』と『主の仰せ』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/18438
【追記】
エレミヤ5章14節の預言では、「主の御言葉」それ自体が「火」に喩えられているのは言うまでもないが、民の中で主の御言葉を受け入れて自分のものとした人々もまた「火」に喩えられているとも解釈できる。実際ヘブライ1章7節は詩編104編4節を引用するに際し、主に忠実な人々を「火」に喩える、
(注)別エントリー「試論:二種類の『火』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/13038
ルカ12章49節「地上に火を投ずるためにわたしは来た」同3章16節「聖霊と火による洗礼」黙示録11章5節「口から火が出る預言者」エレミヤ5章14節「あなたの口に、わたしの言葉を授ける。それは火となり、この民を薪として焼き尽くす」同23勝29節「わたしの言葉は、火に似ていないか」。
(注)別エントリー「試論:『御言葉は心を燃やす火』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11034