「家の主人は、泥棒が夜のいつ頃に来るか知っていたら自分の家に入らせない」の、「家の主人」とは人間一人一人、「泥棒」とは悪あるいは「悪い思い」(マルコ7章21節)、「自分の家」とは自身の内面である。マタイ11章43節以下「汚れた霊と家」のたとえも同様で日頃からの悪への警戒を勧める。
(注)別エントリー「試論:『体も家も自身の住まい』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9924
【追記】
主イエスはルカ11章24節以下で、いくら御自分や弟子たちが人々から悪霊を追い出したとしても、その人自身が悪霊を拒む強固な意志を抱いて主なる神への信仰によって悪霊に心の隙を与えぬよう努めなければ、やがて悪霊はその人の隙に乗じて戻って来て、その人の内面を占領してしまうと仰せになった。
(注)別エントリー「試論:『土の家』(+復活の体)を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9624