試論:「マリアやヨセフに祈る」を140文字以内で

【問】マリアやヨセフに祈り求めることは聖書に合致しますか?
【答】ヤコブ5章16節は義人の祈りは大きな効果をもたらすと説きますが、ヨセフはマタイ1章19節で義人と呼ばれます。また最後の審判の箇所では「祝福された人」は義人と同一視されますが、聖母はルカ1章で祝福された方と呼ばれます。

(注)別エントリー「試論:最後の審判とイエスの両親を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】

創世記2章3節は、神が天地創造を終えられる際、第七の日を祝福し聖別されたと記す。「聖別」とは、特別のものとして尊重するよう人々に要請することを指す。ルカ1章は28節と42節の二か所で、マリアが救い主の母として祝福されていると記す。マリアを特別に扱い尊重することは、聖書に合致する。

(注)別エントリー「試論:『聖別』を140文字以内で」も参照のこと。
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ルカ11章28節のギリシア語本文を読むと主は前節の「ある女性」の発言を否定しておらず逆に強く同意している。主は「もちろんそうだがさらに(母に関して)言えば、神の言葉を聞いてそれを守る人は幸いだ」とは仰せになったが、母は神の言葉を聞かないとか守らないなどとは一言も口にされていない。

(注)別エントリー「試論:ヨセフが妻を畏敬する理由を140文字以内で」も参照のこと。
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御自分の母を称える女性の言葉に対し主はルカ11章で神の言葉を守る人こそ幸いと答えられた。ヨハネ14章で主は「わたしを愛する人はわたしの言葉を守る」と仰せになられたが、マリアが母として主を誰よりも愛しておられたことには疑う余地がなく、マリアが神の言葉を守らないことも当然ありえない。

(注)別エントリー「試論:主イエスへの愛を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『新しい契約』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『謙遜の極み故の被昇天』を140文字以内で」も参照のこと。
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