試論:「神を畏れない裁判官」?を140文字以内で

主イエスはルカ18章で祈りの重要性を教えるために「神を畏れない裁判官」を喩えにあえて登場させた。本来モーセの律法では「裁判は神に属する」(申命記1章17節)という理由から、裁判人を「神々」(出エジプト22章8節のヘブライ語本文及び詩編82編。ヨハネ10章34節以下参照)と呼んだ。

【追記】

主イエスはヨハネ10章で「神々」という表現を使われて詩編82編に言及されたが、この詩編は裁判人(出エジプト記21章と22章のヘブライ語本文は裁判人を「神々」と表現する)を戒める内容のものである。詩編82編2節「いったいいつまであなたたちは不正な裁きを行い悪人を容認しているのか」。

主はヨハネ10章34節以下で「聖書は神の言葉を受けた人々を神々と呼んでいる」と主張された(詩編82編参照)。出エジプト記22章8節中の「神の御もとに」は、ヘブライ語本文では「神々のもとに」であり、神々とは裁判人(申命記1章16節)を指す。「裁判は神に属する」(17節)反映である。

(注)別エントリー「試論:詩編82編の『神々』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15676